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【福岡・聖光寺】お寺側から見た「ありがたい御朱印参拝」とは|僧侶の本音を解説

【福岡・聖光寺】お寺側から見た「ありがたい御朱印参拝」とは|僧侶の本音を解説

御朱印をいただくためにお寺を訪れる方は年々増えています。
一方で、「この参拝の仕方で失礼になっていないだろうか」「お寺の人はどう感じているのだろう」と不安に思ったことはありませんか?
この記事では、参拝者からはなかなか見えにくい“お寺側から見てありがたい御朱印参拝”とは何かを、僧侶の立場から分かりやすく解説します。
少し意識を変えるだけで、参拝の時間はより穏やかで、心に残るものになります。

1 お寺にとって御朱印とは何か

 

1-1 御朱印の本来の意味

御朱印は、もともと写経を納めた証として授けられてきたものです。現在は写経に限らず、参拝の証として広く親しまれていますが、その根底にあるのは「仏さまとご縁を結んだ記録」です。
スタンプや記念品ではなく、参拝そのものが主役である点は、今も変わっていません。

1-2 お寺が御朱印をお授けする理由

お寺が御朱印を続けているのは、単に求められるからではありません。
「このお寺に足を運んでくれた」「仏さまに手を合わせてくれた」
その事実を大切にしたいという思いがあります。御朱印は、参拝の余韻を日常に持ち帰ってもらうための小さなご縁の証なのです。

2 お寺側が「ありがたい」と感じる参拝姿勢

 

2-1 参拝を大切にしてくれる人

お寺側から見て最もありがたいのは、短くても丁寧に手を合わせてくれる参拝です。長い時間の読経や特別な作法は必要ありません。
本堂やお堂の前で、静かに一礼し、手を合わせる。その姿勢だけで、「仏さまに会いに来てくれたのだな」と伝わります。

2-2 御朱印を目的にしていても嬉しい理由

実は、御朱印が目的で来られること自体は、決して悪いことではありません。
御朱印がきっかけでお寺を知り、足を運び、仏さまの前に立つ。
それは立派なご縁です。参拝を省略しなければ、御朱印目的でも十分ありがたい参拝なのです。

3 正直に言うと困ってしまう参拝もある

 

3-1 御朱印だけを求める行動

「御朱印だけください」「参拝はいいです」
このような言葉を向けられると、お寺側としては少し寂しい気持ちになります。御朱印は参拝と切り離されたものではないからです。

3-2 無意識に負担になっているケース

閉門間際の駆け込み、混雑時の強い要求、説明を聞かずに不満を口にすることなど、悪気がなくても負担になることがあります。
お寺は観光施設ではなく、祈りの場であることを少し思い出してもらえると助かります。

4 ほんの一手間で変わる御朱印参拝

 

4-1 お寺側が安心できる一言

「お参りさせていただきました」
この一言があるだけで、お寺側の受け取り方は大きく変わります。
参拝を終えたことが伝わり、御朱印も心を込めてお授けしようという気持ちになります。

4-2 忙しい中でも心が和む瞬間

御朱印帳を大切に扱っている姿、静かに待つ姿勢、感謝の言葉。
そうした一つひとつが、忙しい中でも僧侶や寺務の心を和ませてくれます。

5 御朱印を通して生まれるご縁

 

5-1 「また来たい」と思ってもらえる参拝

ありがたい参拝とは、特別なことをする必要はありません。
静かに手を合わせ、御朱印を受け取り、穏やかな気持ちで帰る。
その積み重ねが、「またあのお寺に行きたい」という気持ちにつながります。

5-2 お寺が御朱印を続ける理由

御朱印は、人とお寺を結ぶやさしい入口です。
参拝者の心に残り、日常の中でふとお寺を思い出してもらえる。
だからこそお寺は、これからも御朱印を通じてご縁を結び続けていきたいのです。